初めて見る緑色の液体はしゅわしゅわと音と泡を作り、口に含めばパチパチと口内に刺さった。










05










叫びはしなかったものの、花は半獣姿の子供に驚き、足の力を失い腰を落した。

その花を見てか、はたまた自分が半獣姿に戻ってしまった事に気付いたからか。はさらに狼狽える。

人が落ち着いていない様子を見ると何故か自分は落ち着いてしまうものである。

よく云われるそれは花にも当てはまったようで、花以上に慌ててしまったきつねこどもの姿に少しだが、花は驚きから立ち直っていった。

崩れてしまった足に力を入れ立ち上がると両の手で尻に付いた土を払う。

ここではいつ他の人間がやってくるかわからない。

半獣状態を見られてしまう、と心配する場所にきつねこどもを置く事はできず、花は一先ず家屋に案内することにした。





裸足で山からやって来た小さな客の足の裏は土でどろどろだった。

玄関に上げる前に気づき、縁に座るように指示する。

台所に駆け足で向いシンクでタオルを濡らして戻る。きつねこどもの前に膝をついて足の裏を丁寧に拭う。

半獣の姿から人間の姿に戻っていたこどもの足の、指の間に付いたものまで拭き取る。きつねこどもはくすぐったそうに声を上げ笑い身をよじった。

終わるとこどもを台所に案内し、雨の指定席となっているダイニングチェアに座らせた。花は冷蔵庫の中から飲み物を取り出す。

生憎麦茶は冷えておらず、代わりに雪の友達が来た時に出すため冷やしていたメロンソーダを。

パシュッと蓋を捻ればペットボトルから炭酸が抜ける音がする。透明なグラスに注げばしゅわしゅわと弾ける音がした。

こどもの方を振り返ると珍しそうにあちこちを見て、鼻をすんすんと鳴らしていた。





「はい、どうぞ。」

「…!

あ、ありがと…」





びくっと体を震わせ姿勢を正すきつねこどもに思わず笑いがこぼれる。

メロンソーダを目の前に差し出すと「なんだこれ」と見分しだした。

同じ物を花は手に持っており、飲んで見せるとこどもは真似をしてメロンソーダを口に含んだ。

すると目がぱっと見開かれ、と思ったらぎゅっと目を瞑りぶるぶると首を振った。拍子に耳がぴょこんと頭部から飛び出る。

炭酸飲料は初めてだろう。舌がしびれるような感覚に身を震わせるきつねに、花はまた口元をゆるませた。

口にした飲料が気に入ったのか。きつねこどもは再び口に含み身を震わせる行動を繰り返した。

半分くらい飲んでから満足したきつねこどもに、花は優しく尋ねた。





「ねぇ、あなたの名前はなんていうの?」

「…。」

君ね。

あなたは、どうしてここに来たの?」





きつねこども一瞬たじろいだが、ゆっくりとたどたどしく経緯を話はじめた。

自分がきつねこどもで『先生』の孫である事。雨から姉弟の騒動を聞いた事。その件から人間と獣、どちらの存在が良いのか悩んだ事。

悩んだ結果、自分が知らない『人間』を知るために人里に下りると決めた事。

花は姉弟の騒動を思い出し胸を痛ませる。鈍く刺さる。それでもこどもの言葉にうなずきながら耳を傾けた。















「はなさーん!とまと!あかいのとった!」

「ありがとう。そのバケツの中にそっと置いてくれるかな?」

「わかった!」





数日後。花の家庭菜園には土にまみれたの姿があった。

野生のきつねこどもが突発的に人里に下りるのは危険だと、花の提案で暫く社会勉強をすることになったのだ。

は真っ赤に熟れたトマトを両手に持ち、花に見えるように高々と持ち上げる。

花は土をさわっていた手を止め顏を上げ、畑の傍に置いてあるスチールバケツを指さした。

は言われた通りバケツにそっと、衝撃を与えないように細心の注意を払いながらトマトを置く。

子供に教えながら共に作業をする。まるでこの家に越してきたばかりの頃に戻ったようだ。花は笑みを浮かべた。





は人間を知ろうと励んだ。

人間が使う道具を一つ一つを手に取り、その全てに驚きの声を上げるのだ。

そして口を大きく開け笑う姿に、花は幼いころの雪を思い出した。

無邪気にはしゃいでいると思っていたら、いつの間にか大人しく縁側で絵本を静かに見つめている。

昔、雨に買ってやった絵本だ。見せてやると興味を示したため渡したのだ。文字を教えれば吸い込むように覚えた。

人間について、は驚くほど速く学習していった。





は朝、雨と入れ違うように花の家にやって来て、陽が高いうちは花とともに過ごす。

夕方、茜色が空に差し始める直前に山に帰って行き、また次の日にやってくる。

そんな生活がしばし続いたある日、午前中で学校が終わったため雪が早く帰ってきた。

いつも雪がいない時にはやってきていたので、二人はその日初めて対面した。

家族で話題にする事もなかった…雪と雨が騒動を起こしてから、家族3人で過ごす時間がぎこちなり、和やかな会話ができなくなっていたのだ。

その為の事は二人には伝わっていなかった。雪は知らない子供が当たり前のように自分の家の畑に居るのに驚いていた。





「雪、おかえり。あの…この子はね、」

っていいます。はじめまして!」





ぺこりと頭を下げた子供に雪は疑問符を浮かべるばかりだ。

解釈を求めるように視線を投げる。花は言葉を選ぼうとするが見つからず、率直に伝えることに決めた。





「この子はね、あなたと雨と少し違うけど、同じ。

人間ときつねのこどもなの。」

「………」

「ここには人間について知りたいとやってきたの。だからお母さんが、」

「なんで、母さんが教えなきゃいけないの。」

「雪、」

「そんな事、母さんがわざわざ教えなくてもいいじゃない!」

「それは……」

「……信乃ちゃんと遊ぶ約束してるの。

いってきます。」





雪は花から目をそむけると背負っていた赤いランドセルを縁側に置き、来た道を駆けていった。

娘の後ろ姿を花は悲痛な面持ちで見送る。

は花のそばに寄り不安そうに見上げた。自分が雪の怒りの原因なんだろうと目が訪ねている。

薄い茶褐色の頭を撫でる。





「大丈夫、大丈夫。くんの所為じゃないの。

雪は…あの子は、今少し複雑なの。」





困ったように、悲しそうに撫で続ける。

は花の服の裾をぎゅっと握り、雪のランドセルを見つめた。















花さんは「続けようか」と農作業を再開する。僕も再び熟した野菜を収穫する手伝いを始めた。

しかし頭の中は先ほどの雪さんの事でいっぱいだった。

花さんから教えてもらい人間についていっぱい知ったと思う。

でもまだ知らない事、わからない事が多い。雪が突然怒鳴ったのもその一つだ。





ここだけではいけない。もっと知りたいと思うなら人間に近づかなきゃいけない。

明日は、人里に降りよう。もっとたくさんの人間を見るんだ。

そうしたら何かわかるかもしれない。

決心し花さんに明日は来られない事を告げる。

花さんはきっと、僕が山から下りる事をまだ危ないといい止めるだろう。

僕が人間の世界に触れたのはたったの数日。それも花さんの元でだけだ。

だから僕は来れない理由は告げなかった。花さんは「わかった。」と承諾してくれた。

それで今日は帰る事にし、ばいばいと花さんに手を振って別れた。





次の日、僕は山に向うじいちゃんと雨をいつものように見送った。

それから大きな木から離れる。家に帰るのではなく、僕が作った隠れ家へ向った。

隠れ家には花さんから貰った雨のお古の服とサンダルが置いてある。

じいちゃんは僕の人間の姿を否定はしない。だけど僕を狐として育てようとしている。人間の事を深く知ろうとするのは嫌がると思った。

そのためじいちゃんには花さんの元に通っている事は告げてないし、もちろんこれから人里に下りる事も言っていない。

服の袖に腕を通しズボンを履く。サンダルは木の根の上を歩くのには不便だから、道に下りるまで手に持っていく事にした。





雪は、雨に『学校』という場所に行くようにと強く言ったらしい。

雨から聞いた話を思い出し、僕はまず『学校』という場所に行く事に決めた。