だいじょうぶ、だいじょうぶ。と、撫でる手はまるで魔法のように身体に優しい温もりをくれた。










08










山が燃えたように色づき、吐く息が雲のように白み、走ったあとの頬の色をした花が木を飾った。

雪から次々に植物の芽が出た。僕が生まれて三度目の春がきた。

一度目は生まれたばかりで覚えていない。二度目は初めてみるものに驚きと感心ばかりしていた。

三度目の今は慣れ朝起きるとひと伸びし、胸いっぱいにまだ冷んやりとする空気を吸った。





、今日はついて来い。」

「いいの?」





耳と尻尾をピンと立てじいちゃんに尋ねる。

じいちゃんは少しの間黙ってからくるりと反転し歩いて行った。いいという事だ。

今まではじいちゃんと雨を山へ見送り、帰り待っている間は花さんの畑仕事を手伝ったり、雪さんから勉強を教えてもらったりしていた。

そのお陰で絵本以外にも読める本が増えて、簡単な計算もできるようになった。

出来る事が増えるというのはとても嬉しかったし、自信がでてきて勇気も湧くようだった。

雪さんの付き添いを得てもう一度人里に降りてもみた。やっぱり怖かったけど、前のような底なしの恐怖ではなかった。

人間の世界で生活する術はどんどん覚えていったけど、山の事もちゃんと教えてもらっていた。

秋は木の実が多く落ちていて出来るだけ土に埋めて隠したり、木の洞にとっておく。食べ物が少ない冬に食べるのだ。

冬には何もない時に食べれる木の皮の種類を知った。高い所は鹿たちがかじり柔らかくなっているから食べやすいと聞いたけど、僕には高くて届かなかった。

これでも僕も大きくなっているのだけど。川面に写った姿を見る。

鼻面が伸び足も長くなった。手先の黒さもじいちゃんに似てきた。

でこぼこした道を走る時も跳ねるように駆けることができるようになった。

人間の姿のときも大きくなった。花さんは小学校に入学できる位だと言っていた。

おおかみの姿の雨はどんどん大きくなってきつねの僕では追いつけそうにないけど、人間の姿では僕の方が大きくなるスピードが速い。

花さんの家の柱に刻まれた記録と背比べをして、雨と視線が同じになる時を楽しみにしていた。

まだ雪が残る獣道をじいちゃんについて歩き、杉の木の下で雨を待った。雨はやってきた。





「あめ、きょうはぼくもいっしょにいくんだよ!」

「山まで?」





ふんふん、と鼻を鳴らし興奮気味に話す僕とは対照的に雨は心配そうにじいちゃんをみた。

じいちゃんは何も言わず山の奥に向かう。僕と雨は慌てて追いかけた。










僕とじいちゃんが住んでる巣穴は人間が入れない程度には険しい道を行かなければならないけど、山の浅い所にある。

山の奥地へ向かう道はそれ以上に険しかった。大きな岩を飛び越え、絡む根を選び踏みながら進んだ。

じいちゃんと雨はひょいひょいと慣れた足で獣道を歩く。きっと走れるんだろうけど僕の為にスピードを落としてくれてるんだ。

それでも僕はじいちゃんと雨において行かれそうになっていた。岩はよじ登らなければいけなかったし、根に足をもつれさせてしまっていたから。

二人は時々立ち止まり僕を待った。それがなんだか申し訳なくて、情けなくて早く進もうとするんだけど余計に足が遅くなってしまう。

ようやく拓けた場所に出る。新しく生えてきたばかりの草が茂る。

緑の草の中に所々白い部分がある。溶けていない雪だ、と思っていたらその一つがぴょこんと跳ねた。

ウサギだ。動くそれに本能で体が疼いた。

ぱっ、とじいちゃんが飛び出す。ウサギに向かって素早い動きで飛びかかった。

ウサギもこちらに気づいて逃げ出す。じいちゃんが追った。

二匹がより深い茂みに消えて、ガサガサと動く音がした。ピタリと音が止んで暫くするとじいちゃんが草から姿を現した。

口にはウサギを咥えていた。まだ生きているようで逃げ出そうとじたばたうごいていた。

美味しそうなご飯に僕は喜んで駆け寄る。たくさん動いたのでお腹はペコペコだった。

かぶりつこうとすると、じいちゃんがひょいと持っていってしまう。そしてこちらを見ると、咥えてたウサギを離したのだ。

捕まえろ。じいちゃんはそう言った。手負いのウサギはよたよたと逃げる。

蝶々を追いかけたり、狩りの真似事は今までにもしてきたけれど、本物の動く獲物を目の前にするのは初めてだった。

僕は身構える。胸がどくどくと鳴り全身が熱くなった。

じいちゃんの真似をして飛びかかり噛みつく。ウサギは暴れて僕から逃れた。

その拍子にウサギの足が僕の顎に当たった。





「ぎゃん!」





手負いでもウサギの脚力は強く痛みに呻いた。その間にウサギは逃げてしまう。

痛みに怯んでしまった僕はこれ以上追いかけることができず、じいちゃんは雨に代わりに捕まえるようにいった。

雨は力強く地面を蹴ると鋭く尖った牙で軽やかにひと噛みで仕留める。

ウサギに与える鮮やかな止めに、僕の初めての狩りはあっさりと失敗におわったのだ。










太陽が傾いた頃、雨と杉の木の前まで山を下りる。じいちゃんはもう少し山の様子を見るといって別行動だ。

雨が人間の姿に戻る。僕は項垂れたままだった。

僕は初めての狩りに失敗したことがショックだった。蹴られた場所はまだ痛んだ。

何よりじいちゃんに僕にはまだ狩りは無理だと思わせてしまったのが悔しかった。情けなかった。

僕はじいちゃんに認めて欲しかった。

じいちゃんには負けるけれど、僕はいろんな事を覚えて成長したつもりだった。

でも、それは大方が人間の世界で生活するための知識だ。きつねの世界で生きる術はまだ何も手にいれていないに等しいほどわずかだ。

僕も大きくなっているんだと知って欲しかったのに。

ほろほろと目から涙がこぼれ毛に吸い込まれていく。染み込めなかった雫が木の根に落ちた。











雨の手のひらが僕の頭から首、顎のウサギに蹴られたとこを撫ぜた。





「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」





手が往復すると痛みが吸い取られていくように消える。

涙も止まって、身体もほんのりと温かくなった。





いつか、花さんの畑仕事を手伝っているときに転び、膝を擦りむいた。傷口からは血がたくさんでた。

転んだときは痛くなかったのに傷口をみると大怪我をしたかのように泣き出した。

そんな僕の背中を花さんが今の雨のように撫ぜてくれた。

だいじょうぶ、だいじょうぶ。





優しく包むような声での呪文のようなつぶやきと往復する手に、僕は絵本の魔法使いのように棒切れを振り回さなくても魔法が使える、花さんを魔法使いだと思ったのだった。










「僕が怪我したとき、落ち込んだとき、かあさんがこうしてくれたんだ。」





何度も何度もだいじょうぶ、と呟きながら撫ぜてくれた。

その手と雨のおまじないの魔法の声が心地よくて、僕は目を閉じた。





だいじょうぶ、だいじょうぶ。





痛みも、涙も、悲しい気持ちもぜんぶ。魔法のように溶けてどこかにいってしまった。